「 マン・キ・バート」2019年10月27日

国民の皆さん、こんにちは。今日は光の祝祭、ディワリです。皆さんに、心よりお祝いを申し上げます。   

Shubham Karoti Kalyanam, Aarogyam Dhansampadaa.     Shatrubudhdhi Vinashaay, Deepajyoti Namostute!!

 これは、サンスクリット語の二行詩、シュローカです。光の祝祭にふさわしい、すばらしいメッセージです。この シュロークの意味は次の通りです。「光は、我々の人生に幸せ、健康、繁栄を与える。心の中の悪を払拭し、友愛を育む。神の光に敬礼!」

 ディワリの意義を、とてもよく伝えています。これ以上の言葉はありません。ディワリの日には、心のうちに光を輝かせ、また外に向かっても輝かせ、友愛の輪を広げましょう。遺恨を忘れ、敵意を払拭すべく祈りを捧げましょう。そうすれば、ディワリの祝祭は、より思い出深いものになるでしょう。

 近年、ディワリは多くの国々で祝われています。それは、その国々のインド人コミュニティに限ったことではありません。多くの国々の 政府、一般市民、また様々な組織で、ディワリが、にぎやかに、熱心に、そして、心から祝われています。 ある意味、ディワリを通して、それぞれの国の人々の心に「インド」が刻み込まれているのです。

 

 国民の皆さん、「フェスティバル・ツーリズム」には、わくわくするような魅力があります。インドは祭りの国です。「フェスティバル・ツーリズム」を推進できる無限の可能性があります。 ホーリー、ディワリ、オナム、ポンガル、ビフなどの祭を広めましょう。お祭の日に他の州の人々、他の国の人々を招待し、一緒に祝いましょう。また、それぞれの祭りの本来の意義を教えて上げましょう。 

 インドには、各州、各地域特有の様々な祭りがあります。興味を持っている外国人もたくさんいます。「フェスティバル・ツーリズム」を推進する上で、外国に住んでいるインド人の役割は、とても重要です。インドの祭りを、たくさんの国、地域の人々に知って貰いましょう。

 

前回の「マン・キ・バート」で、今年のディワリは、今までとは一味違ったお祝いをすると決めました。ディワリの日には、富と幸運と豊穣の女神、ラクシュミが皆さんのご家庭を訪れます。ですから、今年のディワリは、我が国の「ラクシュミたち」つまり、わが国の「偉大な女性たちの力と、その功績」を讃える形でお祝いをしましょうと呼びかけました。すると、山のような感動的な物語が、ソーシャルメディアにあふれました。

WarangalのKodipaka Rameshさんは、Namo Appに次のように書いています。「私にとって、母は、私の力の源です。1990年に父が亡くなった後、母はたった独りで、5人の子供を育て上げました。現在、5人の子供たちはそれぞれ立派な職業に就いています。母は、私にとっては「神」と同義です。私の全てです。母は、あらゆる意味において、ラクシュミ女神のような女性です。」Rameshさん、お母様にどうぞよろしくお伝えください。

Twitterのアクティブ・ユーザーであるGeetika Swamiさんは、アッサム・ライフル部隊の女性部隊を率いるKhushbu Kanwar少佐が、彼女にとっての「ラクシュミ」、つまり「女性の力」の象徴だと述べています。Khushbu少佐のお父さんは、バスの車掌でした。

Kavita Tiwariさんにとっては、ご自身の娘さんが「ラクシュミ」です。娘さんはKavitaさんにとって、「力」であり、そして「誇り」だとおっしゃっています。Kavitaさんの娘さんは、とても絵が上手です。それだけではありません。CLAT試験でも高得点を獲得したそうです。また、Megha Jainさんは、マディヤ・プラデーシュ州のグワーリヤル駅で、長年に渡って、電車の乗客に無料で、飲み水を提供している92歳の女性について話しくれました。Megha さんは、この女性の謙虚さと思いやりにとても感銘を受けたそうです。

このような、インドの偉大なる女性たち、「ラクシュミ」物語が、たくさんポータル上に掲載されています。どうぞご覧になって、感動を共有して下さい。そして、あなたの身近の、同じように偉大な、「ラクシュミ」の物語を皆と共有して下さい。 我が国の全ての「ラクシュミ」に敬意を表します。

Sanchi Honnammaは、17世紀に活躍したカンナダ語の女性の詩人です。Sanchiは、「女性の力」について、次のような詩を書いています。 彼女の詩は、17世紀という時代を反映しています。 カンナダ語のこの詩には、言葉の美しさ、情感と思想の深さがあります。

Penninda permegondanu himavantanu.

Penninda broohu perchidanu

Penninda janakaraayanu jasuvalendanu)    

 

 詩の内容は次の通りです。「山の神Himwantは、その娘パルバティのおかげで、賢者Brighuは、その娘ラクシュミのおかげで、ジャナク王は、その娘シータ姫のおかげで、後世に名前を残すことができた。 私たちの娘は私たちの誇り。」インドの娘「ラクシュミ」の類まれなる力は、我々の社会の力です。我々の社会の明るい未来を約束するものです。

 

 国民の皆さん、2019年11月12日に、Guru Nanakの550回目の生誕祭が世界中で祝われます。 Guru Nanakが照らした光は、インドだけでなく世界中の人々を輝かし、影響を与えました。外国に定住している多くのシーク教徒は、Guru Nanakが掲げた理想を忠実に守っています。私は、バンクーバーとテヘランのグルドワラにお参りしたときの感動を、今でも鮮明に覚えています。

 Guru Nanakについて、皆さんにお話ししたいことはたくさんありますが、それを全部お話しするには時間が足りません。Guru Nanakは、「奉仕の精神」を他の何よりも、尊いものだと考えていました。無私の気持ちでなされた奉仕は、金銭に代えることはできないと信じていました。Guru Nanakは、カースト制度やアンタッチャビリティなどの「社会悪」に対して、敢然と立ち向かいました。 その教えは、今、世界の隅々に広まっています。Guru Nanakは、当時、おそらくは他の誰にも負けないくらい、遠く離れた場所に行き、広く旅をし、自身の思想を人々に伝えました。様々な場所へ行きました。そして、どこへ行っても、その率直さ、謙虚さ、飾り気のなさで人々の心を掴みました。

  Guru Nanakは、「ウダーシ」と呼ばれる多くの、大変重要な「宗教的旅」を行いました。 人々に友愛と平等のメッセージを伝えながら、東西南北あらゆる方向に旅をし、一般の人々、聖人、賢者に会いました。アッサムの偉大なる聖者Srimanta Sankardevも、当時、Guru Nanakに感銘を受け、触発されたと言われています。

 Guru Nanakは、ヒンズー教の聖地、ハリドワールを訪ねています。カーシ(現在のバラナシ)にGurubagh Gurudwaraというシーク教の寺院があります。そこは、Guru Nanakが滞在したので、その名前が付けられたと言われています。また、ラージギル、ブッダガヤなどの仏教の聖地も訪ねています。スリランカにまで足を運んでいます。カルナータカ州のビダールへ行った時には、ビダールの人々が直面していた水不足の解決策を提案し、問題を解消しました。ビダールにある「Guru Nanak Jhira Sahib」は、Guru Nanakを記念して建てられたシーク教の寺院、Gurdwaraです。

 北の方では、カシミールとその近隣地域を訪ねています。Guru Nanakのこの旅により、シーク教徒とカシミールの人々の間に強い絆が結ばれました。また、チベットへも足を運んでいます。Guru Nanakの「Guru」は、日本語で「尊師」という意味です。チベットの人々によって、Nanakに、この称号を付けて、Guru Nanakと呼ぶようになりました。

 Guru Nanakは、ウズベキスタンも訪ねており、現地の人々に崇敬されています。また、Udaasiの一環として、サウジアラビア、イラク、アフガニスタンなど多くのイスラーム諸国も訪ねています。そして何百万人もの人々の心を掴みました。人々はGuru Nanakの教えを忠実に守り、その教えに従いました。それは今も続いています。

ほんの数日前のことです。約85か国の大使が、シーク教の聖地、アムリトサルに向けてデリーを出発し、Guru Nanakの550回目の生誕祭を記念して、シーク教の聖地、ゴールデン・テンプルを参拝されました。そして、シーク教徒の伝統と文化について、より多くのことを知っていただく機会を得ることができました。この時の様子を多くの大使がソーシャルメディアを通じて、我々と共有されました。写真を掲載し、ご自身の体験、感じたことを書いて下さいました。

Guru Nanakの550回目の生誕祭に当たり、その教えと理想をたくさんの人々が心に刻み、人生をより良く生きられるよう心から願っています。最後にもう一度、Guru Nanakに敬意を表したいと思います。

皆さんは10月31日という日付の重要性をご記憶のことと思います。この日は、「インドの鉄人」の異名をとるサルダール・ヴァッラブバーイー・パテル(Sardar Vallabhbhai Patel)が生まれた日です。パテルは、私たちが1つの国家として存立する上で、求心力となる人物です。彼は一方で、人々を団結させる類まれな才能を持ち、他方では、彼とイデオロギーを異にする人々と折り合いをつける能力も兼ね備えていました。サルダール・パテルは、物事を委細漏らさず観察し、さらにそれらの検討と評価を同時に行うことを常としていました。

 

本当の意味で、彼は「細部にこだわる人物」でした。それに加え、彼は組織力にも長けていました。計画を練り上げ、戦略を編み出すことは彼の強みでした。Sardar Saheb のスタイルについて読んだり聞いたりすると、彼による計画立案がいかに緻密であったかが分かるでしょう。一例を挙げましょう。1921年のことです。アメダバードでの国民会議派の総会に、全国から何千人の代表の参加が見込まれ、サルダール・パテルはその会合に向けてあらゆるも手配を任されていました。彼はその機会を、アメダバードの水の供給網を改善するために生かしました。水問題に直面する人が一人としていないように尽くしたのです。それだけでなく、彼は総会に参加する代表者の靴とカバンが他人に持ち去られないようにすることにも注意を払いました。彼がひねり出した解決策は皆さんを驚かせることでしょう。パテルは農民に連絡をとり、彼らに、手で紡ぎ、手で織るカディ・バッグ(khadi bags)を作らせたのです。農民の手で作られたカディ・バッグは、総会に派遣される代表たちに販売されました。その代表らは自分の靴をバッグに入れ、靴を盗まれる心配をせずに済みました。また、これをきっかけとして、カディの販売高が増加したことも特筆すべきでしょう。私たちの国は憲法制定議会(Constituent Assembly)で彼が果たした役割に対して、つねに恩義があります。彼は、カーストやコミュニティの違いに基づく差別の可能性を取り除こうと、基本的権利の法定化に奔走しました。

 

私たちは皆、サルダール・パテルがインドの初代内務大臣として 、藩王国の統合という歴史的な任務を担ったことを知っています。すでにお話ししたように、物事を緻密に精査することは、彼の稀有な資質でした。彼は、ハイデラバード(Hyderabad)やジュナーガド(Junagarh)を始めとする藩王国の統合に注力した一方で、遠方に位置するラクシャディープ諸島(Lakshadweep)にも細心の注意を向けていました。私たちがサルダール・パテルの尽力を語るとき、往々にして、いくつかの主要な藩王国を統合する上で彼が果たした役割について取り上げられます。しかし彼はそれよりもはるかに重要な役回りも務めたのであり、それはラクシャディープ諸島のような小さな地域に関しても当てはまります。ラクシャディープはインドでもっとも美しい場所の1つに数えられます。1947年、インドとパキスタンの分離・独立からほどなくして、複数の隣国がラクシャディープに目を向け、それらの国の国旗を掲げた船舶がそこへ派遣されました。その知らせを聞いたパテルは、ただちに厳しい措置を執りました。彼はアルコット・ラマサミ・ムダリアール(Arcot Ramasamy Mudaliar)とアルコット・ラクシュマナスワミ・ムダリアール(Arcot Lakshmanaswami Mudaliar)の兄弟に対して、トラヴァンコール(Travancore)の人々とともに作戦を練り、ラクシャディープで他国に先駆けてインドの国旗を広げるように命じました。パテルの指示を受けて、インドの国旗が即座に掲げられ、ラクシャディープ諸島を併合しようとする隣国の不正な目論見はすぐさま打ち砕かれました。この事件の後、ラクシャディープの開発に確実に支援が行われるよう、サルダール・パテルはムダリアール兄弟に個人的に要請しました。現在、魅力ある観光地でもあるラクシャディープはインドの発展に大きく寄与しています。皆さんには、ぜひこの美しい島々と自然のままのビーチを訪れていただきたいと思います。

2018年10月31日は、サルダール・パテルを記念して建立された、世界一の高さを誇る「統一の像」の除幕式が行われた日です。この像はアメリカの「自由の女神」の2倍の高さがあります。世界でもっとも高い像を国内に持つという事は、すべてのインド人の誇りです。1年で260万人もの観光客が その地を訪れました。毎日、平均で8500人がパテルの像を見にきたことになります。人々が抱くサルダール・ヴァッラブバーイー・パテルへの畏怖の念は、彼に注がれる敬意に現れています。「統一の像」はCactus Garden、Butterfly Garden、Jungle Safari、Children’s Nutrition Park、Ekta Nursery などの施設も併設し、それらはつねに進化し続け、地元経済に活力を与えています。地元の人々は雇用の機会を得るだけでなく、そこを訪れる観光客向けに、多くの村人がホームステイなどを提供しています。ホストはホームステイの運営方法を専門的に学んでいます。最近ではドラゴンフルーツの栽培も始められ、それがやがて人々の収入源となることを確信しています。インドの人々や州、さらには観光産業にとって、「統一の像」は(モデルケースとして)考察の対象になるでしょう。私たちは、除幕式から一年で、一つの場所が世界的に知られた観光地へと発展してくさまを目の当たりにしました。インド各地や海外から多くの人々がそこを訪れ、それに伴って、交通、宿泊、観光ガイドなどのサービスのほか、環境に配慮したサービスが生みだされています。経済が発展し、観光客の要求に応えるかたちで様々な施設が作られています。政府も自らが担うべき役割を果たしています。『タイム』誌が「統一の像」を世界でもっとも重要な100の観光地に選んだという事実に誇りを抱かないインド人がいるでしょうか。もちろん、わたしはぜひ皆さんが貴重な時間のかなから「統一の像」を訪問する時間をつくっていただきたいと思っています。とはいえ、私が皆さんにお願いしたいのは、家族と一緒に国内の少なくとも15の観光地を訪れ、行く先々で一泊していただきたい、ということです。わたしからのお願いです。

2014年から、毎年10月31日は「国民統一の日(National Unity Day)」として祝われてきました。この日は、国家の統一、保全、安全を、いかなる対価を払ってでも守り抜くという意識を育むためのものです。今年の10月31日も、これまでと同様、「統一のためのマラソン(Run for Unity)」が開催されます。このイベントには、あらゆる職業に就く人々、様々な階層の人々が参加します。統一の象徴である「Run for Unity」は、一つのゴールに向かって国民が団結して進みます。Ek Bharat, Shreshth Bharat!(One India、Great India)

 

過去5年間にわたって開かれてきた同イベントには、デリーだけでなく、インド各地の都市、連邦直轄領、州都、各州内の地域の中心地、あるいはそれよりもさらに規模の小さい町で、都市生活者、村の住民、子供、若者、老年者、障がいを持つ人々など、様々な人々が 参加してきました。いまでは、人々がマラソンに慣れてきただけでなく、それに情熱をそそいでいます。「Run for Unity」は、優れた取り組みです。走ることは、心と体と精神にプラスに働きます。マラソンではただ走ることだけではなく、そうすることによって、私たちが推進してきたFIT India の精神もそこに反映されるのです。私たちもEk Bharat- Shrestha Bharat (One India、Great India)キャンペーンに参加できます!また、私たちの身体のみでなく、心や価値観もインドの統一性、益々の発展に向け、一体化することができます。インドの全ての町のRun for Unityマラソンのスケジュールが分かるよう、専用ポータルrunforunity.gov.inを立ち上げ、イベント情報を発信しています。このポータルに、全国の‘Run for Unity’の開催場所が掲載されています。10月31日にインドの統一のためだけでなく、ご自分の健康の為、皆がマラソンイベントに参加される事を願います。

 

国民の皆様、Sardar Patelがわが国を「統一」という糸で紡ぎました。統一というこのマントラは、我々の人生に於ける価値観のようなものであり、又、多様性に満ちたわが国に於いては、わが国のあらゆる所、あらゆるレベルでこの価値観を高め続けていかなければなりません。国民の皆様、わが国は、統一性、社会の調和を高める事に非常に積極的に取り組み、且つ注意を払ってきました。私たちの周りを見ても、社会の調和を保つべく絶え間ない努力をしている人々が多くいます。然しながら、時折、社会の努力や貢献を我々の記憶からかき消してしまうような事が起こります。

 

2010年9月にアラハバード高等裁判所がラーマ神生誕地を巡り判決を下した日の事を覚えております。あの頃のことを思い出してみてください。いろいろな人々が集まってきて、様々な集団が自らの都合のいいように事を運ぼうとしていました。わざと緊張感を高めるような言葉が使われました。辛辣な言葉を使って無責任なことをいう人もいました。また、ただ目立ちたいがために大口をたたいたりする人もいました。至るところに無責任な話があふれていたのを皆様も覚えていると思います。でも、この状況は、約10日間続きましたが、裁判所の下した判断は、喜ばしいもので、国内に意外な雰囲気の変化をもたらしました。

 

2週間、緊張を高める為の陰謀が企てられましたが、ラーマ神の生誕地に関する判決が下されると、政府、政党、社会組織、社会団体、市民団体、各組織の代表や聖人たちが 控え目で、バランスの取れた発言をしました。社会の緊張を緩和する試みもなされました。しかし、私は、あの日の事を鮮明に覚えています。あの日の事を思い出す度に、司法への敬意を感じ、幸福な気分になります。また、国内に於いて激しい論争や緊張感を高めるようなことが起こらないように措置が取られました。これらの出来事を忘れないでいただきたい。なぜなら、我々に大きな力をくれるからです。あの日、あの時の出来事は、我々に使命感を感じさせてくれるからです。団結の声がわが国をいかに強くしてくれるかを、例として示しています。

 

国民の皆様、10月31日は、インディラガンジー前首相が暗殺された日でもあります。わが国に衝撃を与えました。彼女の冥福をお祈りいたします。

国民の皆様、今日、国中の至るところで語られていることがあるとしたら、それは「清潔」と「衛生」についてです。全国民、全世帯、全農村で「クリーン・ミッション」に関する素晴らしい経験について語りたくなります。なぜなら、クリーン・ミッション活動の努力は、12.5億人の国民の努力だからです。

その成果も12.5億人の国民のおかげです。中には、喜ばしく、且つ興味深い経験をした人もいます。ここで皆様にも紹介したと思います。世界で最も高度が高い戦場―シアチンを思い浮かべてみてください。気温が零下50~60度に下がり、大気中の酸素レベルも非常に低いです。このような厳しい環境下で過ごすことは、勇敢さの表れでもあります。このような困難な状況で、わが国の兵士たちは、国境を守るばかりではなく、クリーン・シアチン・キャンペーンを行っています。

国民を代表し、インド軍のこの驚くべきコミットメントを称賛すると共に、感謝の気持ちを表します。シアチンは、非常に寒く、物が腐敗しません。その為、ごみの分別と管理は、非常に重要です。シアチン氷河とその周辺地域の壊れやすい生態系から、130トンを超えるごみを取り除くことは、すばらしい任務です!そこには、ユキヒョウやアイベックス、ヒグマ等の希少動物が生息しています。また、シアチンの氷河は、川やきれいな水の水源です。その為、シアチンでクリーンキャンペーンを行うことで、低地に住む人々や、Nubra川やShyok川の水を使う人々にきれいな水を確保しています。

国民の皆様、祭りを通じ、私たちの生活に新しい意識が目覚めます。特に、Diwali期間中、各家庭で新しいものを買ったり、マーケットから物を買う習慣があります。以前、地元の物を買いましょう、と皆さんに呼びかけたことがあります。村にあるもので用が足りる場合、村の外に出る必要がありません。例えば、村の外の町で買えるものがあれば、郡の外に出る必要がありません。できるだけ地元の物を買うようにすれば、「ガンジー生誕150周年」がより素晴らしいイベントになるでしょう。その為、織り手や職人が作った、手織り工芸品を買って下さい、と呼び掛けています。

Diwali前に、色々なものを購入されたはずです。人によっては、Diwaliが終わった後に買い物に行けば、安く買える、と考える人もいます。まだ沢山の買い物が残っている人もおられることでしょう。その為、Diwaliにお祝いの言葉と共に、地元品の後援者となり、地元品を購入いただく様、お願い致します。マハトマ・ガンジーの夢の実現に向け、重要な役割を果たせます。今一度、Diwaliのお祝いを申し上げます。Diwaliに花火などをしますが、時には、不注意が原因で火事になることがあります。けがをする人もいます。その為、十分注意頂きながら、盛大に祭りを祝って下さい。この度は、Diwaliおめでとうございます。どうもありがとうございます。