マン・キ・バート(第16回) 2020年9月27日放送

国民の皆様、ナマスカール。新型コロナのパンデミックは、世界中に様々な変化をもたらしています。今、他人と2メートル以上の距離をあける「ソーシャル・ディスタンス」が必須になりました。その一方で、家族の絆が強くなり、家族のそれぞれを今まで以上に身近に感じるようになりました。けれども、これ程の長い期間一緒に時間を共有して、いつも楽しく家族で時間を過ごすことは可能なのでしょうか。このことに困難を覚えている家族もいるようです。それは家族の中に「サンスカール・サリタ」、つまり川のように脈々と流れていた伝統という流れが消えかかってしまっているからなのです。その「伝統の流れ」がまるっきり途絶えてしまった家族もあるように思われます。そのせいで、コロナ禍のさ中にあって、家族として時間を過ごすのが難しくなってしまっているのです。どんな家族にも誰かしら「年配者」がいます。かつては家族の年長者が家族の他のメンバーに、何かしら「物語」を語っていたものです。そして聞き手の家族にインスピレーションや、ある種の「エネルギー」を与えていました。我々の先祖が連綿として伝えてきた慣習・様式がどれ程素晴らしく、大事なものであったか、それが消えてしまおうとしている今、より深く感じざるを得ません。そうした慣習・様式の一つが、私が今言った「物語を語ること」つまり「Storytelling」なのです。

皆さん、「Storytelling」の歴史は、人類の文明が誕生したときから始まっています。

‘where there is a soul there is a story(魂があるところには物語がある)’

「物語を語ること」は、人間の創造性と感受性を前面に押し出し、それに表現の場を与えることなのです。「物語の力」は、母親が子どもを寝かせるときに、あるいは食事を与えるときに「お話」を聞かせているのを見れば、自ずと明らかでしょう。

私は自分の人生において、長い間「さすらう苦行僧」のような生活をしていました。「放浪すること」が私の人生だったのです。日々新しい村を訪れ、見知らぬ人々と出会いました。どこかの家族に招かれると、その家の子ども達と話したものです。そして、子ども達に「何かお話しを聞かせてくれないか」と言いました。すると、驚いたことに、子ども達は私に言うのです、「いや、おじさん、お話しじゃなくて、ジョークを聞かせて上げるよ」。そして、私にもジョークを話すよう求めるのです。明らかに、子ども達は「物語」に馴染みがないようでした。ほとんどの子供たちの生活では、ジョークこそが重要な要素を占めていたのです。

皆さん、インドにはキサゴイ(Qissagoi.)、つまりStorytellingの長く豊かな伝統があります。我が国には児童向け書籍としては世界最古の説話集である『パンチャタントラ』や主に動物を主人公にした寓話集『ヒトーパデーシャ』があり、それは我々の誇りでもあります。それらの物語には動物や鳥、また妖精が描かれており、その擬人化された姿を通して子供たちは、分別や思慮、また教訓を容易に学べることができます。我が国にはまた、宗教的な物語の伝統もあります。それには「カタカラクシェパム(Kathakalakshepam)」も含まれます。また、多種多様な民話もあります。タミルナドゥ州とケララ州にはStorytellingのとても興味深い様式があります。それは「ヴィル・パート(Villu paat)」と呼ばれていて、物語と音楽が見事に融合されたものです。我が国はまた、今も続く人形劇の伝統もあります。近年、科学とSF(Science Fiction)をベースにした物語やStorytellingのジャンルも人気が出ています。また、Storytellingという芸術を推進するために取り組んでいる人々もいます。私は最近「gaathastory.in」というウエブサイトについて知りました。このサイトはアマル・ヴィヤスさんが他の仲間と協力して運営しています。アマル・ヴィヤスさんはインド経営大学院アーメダバード校でMBAを取得した後、外国へ行き、その後インドに帰国しました。現在はベンガルルに住んでいますが、時間をやりくりして、「物語」に関連した興味深い活動を行っています。また、ヴァイシャリ・ヴヤワハレ・デシュパンデさんのように、我が国の農村で語り継がれてきた物語を広めるために尽力している人々もいます。ヴァイシャリ・ヴヤワハレ・デシュパンデさんは、マラティー語のそうした物語を広める取り組みを行っています。

チェンナイのスリヴィディヤ・ヴィール・ラガヴァンさんもまた、我が国の文化に結び付いた物語を広め、普及させるために尽力しています。同様の分野で「Kathalaya」と「The Indian Story Telling Network」という二つのウエブサイトは称賛に値する活動を行っています。「Kathalaya」は物語に焦点を当てたウエブサイトで、その運営にギータ・ラマヌジャンさんが関わっています。また「The Indian story telling network」というウエブサイトは、様々な町のStorytellers、つまり「り」たちのネットワーク作りを行っています。ベンガル州のヴィクラム・シダールさんもそうした語り部の一人です。ヴィクラム・シダールさんは、ガンジーに関連した物語を伝承すべく、とても熱心に活動を行っています。その他にも、沢山の人々がこうした活動に携わっていらっしゃることと思います。皆さん、そうした方々をご存じでしたら、是非、ソーシャルメディアでシェアーして下さい。

今日はベンガルルのStory telling society(語り部協会)のAparna Athreyaさんや他のメンバーとお話をして、その経験を聞いてみたいと思います。

モディ首相 :こんにちは。

アパルナさん :ナマスカール、モディ首相。お元気ですか。

モディ首相 :おかげさまで。アパルナさんもお元気ですか。

アパルナさん :私もとても元気です。まず、Bangalore Story Telling Societyの語り部を代表して「マン・キ・バート」にお呼び頂いて、首相とお話をする機会を頂いたことにお礼を申し上げたいと思います。

モディ首相 :今日はSocietyのメンバーの皆さんが揃っていらっしゃるそうです

ね。

アパルナさん :ええ、そうなんです。

モディ首相 :じゃ、メンバーの皆さんをひとりずつ紹介していただけませんか。

そうすれば「マン・キ・バート」を聞いている国民も、皆さんがどんなに素晴らしい運動を行っているかがよく分かると思います。

アパルナさん :分かりました。私はアパルナ・アトレヤです。2児の母で、夫はインド空軍の将校です。私は今、Storytellingに情熱を注いでいます。

語り部を始めたのは15年ほど前です。当時私はソフトウエア業界

で働いていました。その頃、CSRプロジェクトにボランティアとし

て参加したのですが、その時に、何千人という子供たちに「物語」

を通して教育を行うという機会を貰いました。私は自分の祖母から

聞いた物語を子供たちに聞かせました。その時、私が語る物語を聞

いている子供たちの幸せそうな顔、その顔に浮かんでいた笑み、歓

びに溢れた顔、、、うまく話せませんが、その時、私は

Storytellingを自分の人生の目的にしようと決心しました。

モディ首相 :他のメンバーも紹介していただけますか。

アパルナさん:ええ。シャイラジャ・サンパトさんです。

シャイラジャさん:ナマスカール、モディ首相。

モディ首相 :こんにちは。

シャイラジャさん:私はシャイラジャ・サンパトです。私は以前教師をやっていま

した。それから、子ども達が大きくなった後で、劇場の仕事をはじ

ました。今は「語り部」の活動を通して、これまでで一番の満足感

を得ています。

モディ首相 :どうもありがとう。

シャイラジャさん:ソムヤさんに代わります。

ソムヤさん:こんにちは。モディ首相。

モディ首相 :こんにちは。

ソミヤさん:私はソミヤ・スリニバサンです。精神分析医です。私は仕事をしているとき、その対象が相手が子どもであれ、大人であれ、物語を使って人間が持つ様々な感情を呼び起こす試みをしています。そして、その

ことについて彼らと話し合っています。そのような「Healing and

transformative storytelling」つまり「癒し変革するストリーテリング」を目標にしています。

アパルナさん:ナマステ、モディ首相。

モディ首相 :ナマステ。

アパルナさん: 私はアパルナ ジェイシャンカルです。私は母方の祖父母や父方の祖

母によって、インドの色々な場所で育てられました。それは私にとっ

てとても幸運なことでした。毎晩、『ラーマヤナ』や『プラーナ』また

『ギータ』などの物語を聞かされました。ですからBangalore

Storytelling Societyという機関が存在を知った時、私は「語り部」

になるのが必然のように思えました。ラヴァンニャ・プラサドさんに

代わります。

モディ首相 :ラヴァンニャさん、こんにちは。

ラヴァンニャさん:ナマステ、モディ首相。私は以前は電気技師でしたが、今は語

り部を専門にやっています。私は祖父から物語を聞いて育ちました。

今は高齢者の方々のために活動を行っています。「ルーツ」という

プロジェクトを立ち上げました。それは高齢者の方々のご家族の

めに、高齢者が歩んできた人生の物語を文書化するという作業を進

めています。

モディ首相 :それは凄いですね、ラヴァンニャさん。私も以前、「マン・キ・バ

ート」を聞いている子供たちに、自身のおじいさんやおばあさんに

子ども時代の話を聞いて、録音したり、記録したりするように話し

たことがあります。後でとても役に立つからと。今日は、皆さん全

員とお話ができて、とても嬉しかったです。皆さんは限られた時間

で、少ない言葉で、自分が持っている技術、そしてコミュニケー

ションスキルで、とても素晴らしく自己紹介をなさいました。本当

にありがとう。

ラヴァンニャさん:こちらこそ、本当にありがとうございました。モディ首相。

モディ首相 :これを聞いている皆さんはきっと、物語を聞きたくなったことだろ

うと思います。皆さんにお願いなのですが、何か一つ、二つ、物語

を聞かせて頂けませんか。

全員 :勿論です。とても光栄です。

アパルナ・ジェイシャンカルさん :

さあ、始まりますよ。今日は王様のお話です。王様の名前はクリシュナ・デヴァ・ライと言いました。その王国の名前はヴィジャヤナガルです。王様はとても有能でした。もし、王様の弱点を二つだけ挙げるとすれば、テナリ・ラマ大臣への度を過ぎた愛情と、食べ物への執着でした。王様は毎日、今日こそは美味しい料理が食べられるに違いないと、大きな期待感を持って昼食の席に着きました。けれども、王様の期待とは裏腹に、料理人は毎日毎日、ひょうたん、ヘチマ、かぼちゃ、瓜などの味気ない野菜を使った料理を作りました。そうしたある日、王様はとうとう我慢の限界にきて、食べかけていたお皿をひっくり返して、怒った声で料理人に言いました。「明日こそ、今まで見たことのない野菜で料理を作るんだ。さもなければ、お前を絞首刑にしてやるからな!」

かわいそうな料理人はすっかり怯えてしまいました。新しい野菜はどこで手に入るんだろう。 料理人は大急ぎで、飛ぶように走ってテナリ・ラマのところへ行きました。そして、王様に言われたことを全て話しました。話を聞いた後、テナリ・ラマは料理人のために、ある策を講じました。

あくる日、王様は昼食時間に食堂へ来て、料理人を呼び、そして言いました。「今日は美味しい野菜料理を作ったんだろうな。それとも、絞首台の用意をしようか」。料理人はびくびくしながら、大急ぎで王様のためにテーブルを整え、そして湯気を立てている料理をお皿に盛りました。お皿の上には見たことのない野菜がのっていました。王様はワクワクしながら、少し食べてみました。「うーん。わあー。旨い!この野菜は瓢箪のように味気なくないし、南瓜のように甘ったるくもない!」。上手に調合され、豊かな香りを放つスパイスも料理の味を引き立てていました。すっかり満足した王様は指を舐めながら料理人を呼び、聞きました。「これは何て言う野菜だ」。料理人はテナリ・ラマに教えられた通りに答えました。「王様、これは茄子です。茄子は王様がそうであるように野菜の王様なんです。ですから他の野菜が茄子の頭に冠をかぶせたんです」。王様は大喜びでした。そして「今日から毎日王冠をつけた茄子を食べるぞ。これはわしだけじゃないぞ。この王国では、今日から臣民も茄子料理だけを作るんだ。他の野菜を料理してはならん」と宣言しました。こうして王様の王国では王様も臣民も毎日茄子だけを食べるようになりました。最初のうちはみんな、これまで食べたことのない野菜を食べられて幸せでした。けれども、日がたつにつれ興奮は冷めていきました。ある家では茄子の炒め物、隣の家では茄子の天ぷら、その隣の家では茄子のカレー、そしてある家では茄子の煮びたし、他の家では茄子のスープ、マーボーナス、、、、かわいそうな茄子。茄子一つでいったいどれだけの料理が作れるというのでしょうか。王様もだんだん、茄子に飽きがきてしまいました。毎日毎日茄子料理!ある日王様は料理人を呼びつけ、ひどく叱りました。そして「一体誰がお前に、茄子は頭に王冠を戴いていると言ったんだ。わしの王国では今から誰も茄子を食べてはならん。明日からは、どんな野菜でもいい。茄子以外の野菜で料理を作るんだ。茄子料理は作ってはならん」と命じました。

料理人は王様に「仰せの通りに」と答えて、その足でテナリ・ラマのところへ行きました。そして、テナリ・ラマに深くお辞儀をして言いました。「大臣のおかげで命が助かりました。本当にありがとうございました。大臣のアイデアで、これからは王様のためにどんな野菜でも料理ができます。」テナリ・ラマは笑いながら「王様がいつも幸せにお暮しできるような取り計らいができない大臣に、どんな存在意義があるというのだね」と言いました。

このように、クリシュナ・ライ王様とテナリ・ラマ大臣の物語は語られ続け、人々は今も昔も、飽きることなく耳を傾けています。ご清聴ありがとうございました。

モディ首相 :皆さんの語りはとても的確で、細かいところも上手に伝えています。

きっと、聞いている子供だけでなく、また大人の記憶にも残ることで

しょう。とても素晴らしかったです。これは偶然ですが、今週は

ニュートリション・ウィーク、つまり栄養 週間です。そして、皆さ

んが語ってくれた物語は食べ物を廻る物語。何か特別な意味があるの

かもしれませんね。皆さんや、我が国の他の語り部の皆さんにお願い

があります。

Storytellingを通して、我が国の新しい世代に、我が国の偉人、我

が国の偉大な女性たちを結ぶ着ける方法を見つけて欲しいのです。

Storytellingを広め、普及させる方法を模索し、全ての家庭で良質

の物語が語り継がれるような、良質の物語を子供たちに聞かせること

ができるような、それが一般の人々の生活の一部になるような方法で

す。

どうやったらそれができるのか、我々は力を合わせて取り組む必要が

あります。今日は皆さんとお話ができて、とても嬉しかったです。皆

さん、これからも頑張って下さい。本当にありがとう。

全員 :ありがとうございました。モディ首相。

Storytellingという技術によって伝統の流れを次世代へ伝えようとしている女性たちのお話を伺いました。彼女たちと電話で話していて、話がとても長くなってしまいました。私は「マン・キ・バート」の放送時間を考えざるを得ませんでした。今、ここで放送したのは、その一部にしか過ぎません。彼女たちと話した完全版は「NarendraModiApp」にアップロードすることにしました。どうぞ、完全版はそちらでお聞きになって下さい。

皆さんにお願いがあります。どうぞ、ご家庭で、週に一回「物語」のために時間を作って下さい。そうですね。こういうのはどうでしょうか。毎週、家族の皆でトピックを一つ決めます。例えば、慈悲、思いやり、犠牲的精神、勇敢、勇猛。何か一つテーマを決めて、それに関連した物語を家族の皆が探して、一人ずつStorytellingをするのです。

是非やってみて下さい。そうすれば、家族にとっての宝物ができるでしょう。研究にもとても役立つでしょう。そして皆がどんなにか楽しめることでしょう。家の中に、何か新しい生命のような物が、新しいエネルギーのような物が生まれるでしょう。このようにして、新しい何かを生み出すことができるのです。全国の語り部たちにお願いがあります。我が国が独立してもうすぐ75年になります。我々が奴隷状態に置かれていた時代の感動的な出来事を、我々を勇気づけるような出来事を「物語」にして、それを広めることはできないでしょうか。特に1857年から1947年までに起こった大小、様々な出来事を、我が国の新しい世代に「物語」の形で教えることができるのではないでしょうか。私は、皆さんならそれが実現できると信じています。我が国のStorytellingの伝統が更に豊かになるよう、その技法を確立し、普及させ、学びやすくすれば、それは可能になります。皆でその目標に向かって頑張りましょう。

国民の皆さん、 さて、次は、物語の世界で7つの海を渡ってみましょう。この声を聞いてください。

「ナマステ、私はセドゥ・デンベレです。私は西アフリカのマリと言う国から来ました。私は2月にインド最大の宗教祭の一つであるクンブメラに参加する機会がありました。この宗教際に参加できたことを大変誇りに思い、そしてクンブメラの一員であることを光栄に思います。私は、これを通して色々なインドの文化について観察し多くの事を学ぶことが出来ました。そして、インドについてもっと学べるよう、いつかまたインドを訪問する機会が与えられることを願います。 ナマステ。”

総理大臣:面白いと思いませんか? マリのセドゥ・デンベレさんでした。マリは、インドから遠くに離れた西アフリカの大規模な内陸国にあります。セドゥ・デンベレさんは、マリのキタという町で、公立学校の教師であり、英語、音楽、絵画、絵を教えています。面白い事に彼には別のアイデンティティもあります。人々は彼をヒンドゥスターニーのバブ(インド人)とも呼び、彼はそう呼ばれることに大きな誇りを持っています。 毎週日曜日の午後、彼はマリで「Indian frequency on Bollywood songs!」というタイトルの1時間のラジオ番組を担当し、その番組は過去23年間続いています。そのラジオ番組で、彼はフランス語とボンバラとして知られているマリのリンガ・フランカ語で放送しています。それも非常に劇的な方法で行っています。彼はインドに対して深い愛情を持っています。 彼がインドと深く関わっているもう一つの理由は、彼も8月15日(インドの独立記念日)に生まれたということです。それから、セドゥさんは、毎週日曜日の午後9時に、もう一つの2時間のプログラムを開始しました。このプログラムでは、ボリウッド映画全体の物語をフランス語とボンバラで語っています。時々、感情的なシーンになると、彼はリスナーと一緒に泣くんです! セドゥさんのお父さんが彼にインドの文化を紹介しました。彼のお父さんは、インド映画を上映されている映画館で働いていました。今年の8月15日には、ヒンディー語でのビデオを通じて、彼は独立記念日にインドの人々に祝辞を述べました。彼の子供たちはインドの国歌をとても容易に歌っています!皆さんはこれらのビデオの両方を見て、インドへの彼らの愛を感じなければなりません。セドゥさんがクンバメラを訪れた時、彼は私が出会った代表団の一員でした。彼のインドへの情熱、愛着心、そして愛情は、実に私たち全員の誇りです。

国民の皆さん、「地に根ざしている人は、大嵐の時でも決して揺るがない」と言われています。 このコロナ禍の困難な時期における、私たちの農家の人々は、これに当てはまる本当の生きた証拠ではないでしょうか。。皆さん、国の農業業界、その農民、私たちの村は、「自立したインド」のまさに基盤となっています。そして彼らがしっかり腰を据え強ければ、「自立したインド」の基盤も強いままです。最近は、これらの地域も多くの制限から解放され、また色々な神話から抜け出ようとしています。私は農民からそのような手紙をたくさん受け取りました。私が農民の組合と対話したところ、彼らは農家に与えられた新しい次元とそれが受けている変化について教えてくれました。私が彼らから聞いたこと、そして他の人から聞いたことも、今日のマン・キ・バートでは、それらの農民についていくつか話さなければいけないと感じています。私たちの農夫の兄弟の一人、ハリアナ州のソニパット地区から、名前は。。カンワル・チョーハンさんです。

彼は、市場の外で果物や野菜の販売していた時、非常に困難に直面していた時期があったことを私たちに話しました。彼が果物や野菜を市場の外で売っていると、彼の農産物やカートを没収されるというようなことも何度もありました。しかし、2014年に果物と野菜はAPMC法律から除外されて以来、彼と彼の周りの仲間の農民にも大きな利益をもたらしました。4年前、彼は自分の村の仲間の農民と一緒に、農民生産者組織を結成しました。今、彼の村の農家はスイートコーンとベイビーコーンを栽培し、それらの農産物は、アザッドプール卸市場や、デリー、大手小売業チェーンやファイブスターホテルに直接供給されています。今、村の農民は、スイートコーンとベイビーコーンを栽培することにより、1エーカーあたり年間25〜30万ルピーを稼ぐようになりました。これだけでなく、この村の60人以上の農民が、ネットハウスとポリハウスを建てたことによって、さまざまな種類のトマト、キュウリ、ピーマンなどを生産し、1エーカーあたり毎年100〜120万ルピーを稼いでいます。

皆さんは、これらの農家は何が違うのか知っていますか?彼らは果物や野菜をどこでも誰にでも売れる権利を持っています!そして、この権利は彼らの進歩の基盤です。現在、この権利は、この地域の彼らが自分たちの田畑で生産または栽培しているもの、つまりお米、小麦、マスタード、サトウキビなど、果物や野菜の販売だけでなく、彼らが今持っているもの全て販売ができ、なお彼らと同様に、国の他の農家にもその権利が与えられています。その上、彼らには希望に応じて高い価格を設定し、どこでも販売できる自由もあります。

皆さん、約3、4年前、果物と野菜はマハラシュトラ州のAPMCの事例から除外されました。この改革がマハラシュトラ州で果物や野菜を栽培している農家の状態をどのように変えたのか、その例は、「スリ・スワミ・サマルス・ファーム・プロデューサー・カンパニーリミテッド」(農業生産者組合)が示しています。

プネとムンバイの農家は、独自に毎週市場を開いています。 これらの市場では、約70の村の約4.5万人の農民の農産物が、中間業者なしで直接販売しています。村の若者は、この市場での農業と販売のプロセスに直接関与しているのです。 これにより農民に直接利益をもたらし、そして村の若者も有益に雇用されるようになりました。

もう1つの例は、タミルナードゥ州の地区ではバナナの農産物会社についてです。 この農産物会社は、名前からは会社組織に見えますが、 実際にはタミルナード州の農家の集団が一丸となって組織を形成したもので、非常に柔軟なシステムを持っており、5-6年前に進展しました。この農家の集団は、ロックダウン中に近くの村から数百メトリックトンの野菜や果物、バナナを購入し、チェンナイ市に野菜コンボキットを供給したのです。

皆さんは、これで何人の若者が雇用されたか考えられますか。そして、この話で興味深いところは、中間業者が存在しないことで、農民が利益を得ただけでなく、消費者にも利益をもたらしたということです。そのような農民のグループが、ラクナウ州にあります。彼らはグループの名前をイラアダと名付けました。 農民生産者と彼らもロックダウン中に、耕運機で畑から直接果物や野菜を運搬し、中間業者から解放されてラクナウの市場で直接販売し、彼らが要求する価格で販売することが出来ました。また、イスマイルさんは、グジャラート州のバナスカンターのランプラという村の農家ですが、彼の話もとても面白いです。イスマイルさんは、農業をやりたかったのですが、今にちの農業に対する一般の人の目が邪魔をし、彼の家族はイスマイルさんの考えに眉をひそめていました!イスマイルさんのお父さんは、自分が農業をしていた時、彼はしばしば損失を被ったことから、イスマイルさんの考えに反対しました。しかし、イスマイルさんは、家族が反対したにもかかわらず、それを押し切って農業を始めることを決心しました。イスマイルさんは、農業が赤字産業であるという考えを払拭し、状況も変えることを決意しました。彼は新しい方法と革新的な技術を使用して、農業を始めました。彼は点滴灌漑を使ってジャガイモを栽培しました…そして現在、彼のジャガイモは彼の特産物商品となったのです。彼は非常に高品質のジャガイモを栽培しています。 イスマイルさんはこれらのジャガイモを大企業に直接販売しており、中間業者などは問題外です。その結果、彼はかなりの利益を上げ、彼は今、お父さんの借金をすべて返済することもできました。 皆さん、ここで最も重要な事実は何ですか? 現在、イスマイルさんは彼の地域から何百人もの農民を支援しているだけでなく、彼らの生活をも変えているということです。

皆さん、現在、私たちが農業に対して現代的な選択肢を多く提供すればするほど、新しい革新と技術の進歩につながるのではないでしょうか。マニプール州のビジェイ・シャンティさんは、彼女の新しい改革でニュースになっています。 彼女はレンコンで糸を作るためのスタートアップを立ち上げました。現在、彼女の尽力と革新は、蓮の栽培と繊維の分野に新しい道を開きました。

さて、国民の皆さん、次は私たちの過去の時代について皆さんに話したいと思います。 101年前の話です。その年は1919年でした。イギリスの支配者たちは、ジャリアンワラ・バーグで無実の民間人を虐殺しました。虐殺の後、12歳の少年がその場所を訪れました。 幸せで機敏な少年ですが、彼がジャリアンワラ・バーグで見たものは彼の想像を超えていました。彼は、どうしてそんなに容赦がないのかと唖然としました。無実の少年に怒りの火が燃え始めました。ジャリアンワラバーグで、彼はイギリスの支配と戦うことを誓いました。 私が誰を指しているのか分かりましたか?
はい! そうです。シャヒード・ヴィール・ バガト・シンについてです。 明日、9月28日、シャヒード・ヴィール・バガト・シンの生誕記念日を祝います。私は、勇気と正義の象徴、シャヒード・ヴィール・バガト・シンの前で、国民皆さんと同様にお辞儀をし敬意を表したいと思います。世界の巨大な塊を支配していた帝国が、太陽はこの帝国に決して沈むことはないとよく言われていたことを想像できますか? このような強力な帝国が、この23歳を恐れていたのです。

シャヒード・バガト・シンは、学者であり、思想家である以上に闘士でした。バガト・シンは、革命的な友人たちと一緒に、我を捨て大胆な行動を実行し、国の自由を得るために大きな影響を及ぼしました。これは、。シャヒード・ヴィール・バガト・シンの人生のもう1つの魅力的な側面は、チームワークの重要性を高く評価したことです。ララ・ラジパット・ライへの献身的行動でにおいても、チャンドラ・シェカー・アザド、スクデヴ、ラージグルなどの革命家たちとの友情においても、個人的な称賛は彼にとって重要ではなかったのです。彼の人生での使命は、たった一つでした。そして彼はその使命のために彼の人生を犠牲にしました。-その使命はインドを不正とイギリスの支配から解放することでした。

NaMoアプリでハイデラバード州のアジェイ・SGさんのコメントを読みました。 アジェイさんはこう書いています「現代の若者はどのようにしたらバガト・シンのようになるために努力することができますか?まあ、 私たちはバガト・シンのようになることもできないかもしれませんが、バガト・シンが彼の国に対して持っていた愛、彼が国のために何かをしたいという意欲と動機は確かに私たちの心の中にあります。」それがシャヒート・バガト・シンへの最大の賛辞です。 4年前の今頃、瞬時攻撃を受けた際に、世界は兵士たちの勇気や正義心を目撃しました。私たちの勇敢な兵士たちは、たった1つの使命とたった1つの目標がありました。それは、母なるインドの栄光と名誉を何としてでも守ることでした。彼らは我をも気にせず戦いました。彼らは任務のを遂行し、私たちは皆、彼らがどのように勝利を収めたかを目撃しました。彼らは母なるインドのプライドをさらに高めてくれました。

国民の皆さん、直に、我々のインドのために多大な貢献を成し遂げたたくさんの偉大な人々を思い出す日が近づいています。10月2日は、私たちにとってインスピレーショナルな吉日ですが、マ・バラティ(Ma・Bharati)の偉大な二人のご子息、マハトマ・ガンジー(Mahatma/Gandhi)と、ラ-ル・バハドル・シャストゥリ(Lal・Bahadur・Shastri)をしのぶ日でもあります。

我々が尊敬の念を抱くガンジー氏の思想は、かつてよりも昨今に、より関連付けて考えられるようになったのではないでしょうか。例えば、マハトマ・ガンジー氏の経済に関する理論、その精神を深く理解そして把握し、実行に移していたとしたら、今にちの、”自立したインド“のキャンペーンも必要ではなかったでしょう。

ガンジー氏の経済に関するビジョンは、実にインドの脈を理解し、またその中にはインドらしさをも漂わせるものでした。我が敬うガンジー氏の人生は、今の私たちのすべての行動は、貧しくて恵まれない人々の生活を幸福へと導いて行かなければならないものだと言っているように思えてなりません。

同じように、シャストゥリ氏の人生も人間性と純真さを私たちにメッセージとして残しました。10月11日も我々にとって大変重要な日です。この日は、国民栄誉賞たる”バーラト・ラトナ“を受賞したロ-ク・ナヤク・ジャヤプラカシュ・ナラヤン氏の生誕の日です。彼は、我々の民主的価値観を守るために先駆者としての役割を果たしました。

また国民栄誉賞“バーラト・ラトナ”を受賞したナナジ・デシュムク氏の生誕の日も10月11日にあります。彼は、ジャヤプラカシュ・ナラヤン氏の側近でした。ジャヤプラカシュ氏が腐敗に対して十字軍との戦いに臨んでいた時、パトナで致命的な攻撃を受け、その時デシュムク氏は、自己に打撃をうけ重傷を負いながらもジャヤプラカシュ氏の一命を取り留めたのでした。

10月12日は、ラジマタ・ヴィジャヤ・ラジェ・シンディア女史の生誕の日でもあります。女史は、人生の全てを人々のために奉仕しました。彼女は、王族で生まれ、富、権力、あらゆるものに何の不足もない立場でしたが、まるで母親が良識をもって子に献身すると同様に全人生を人々に捧げたのです。彼女はとても慈悲深い心を持つ人物でした。この10月12日は、彼女の生誕100年を迎える年でもあったので、今日はラジマタ女史の話をしましたが、一つ心に残るある出来事を思いだしました。

私は彼女と長年同僚として働く機会があり、思い出せば、多くのあらゆる出来事がありました。その中から1つ皆さんに共有したいと思います。私たちはある時期カンニャクマリからカシミールまで”一つの旅路“に出ていました。その旅はムルリ・マノハ―ル・ジョシ博士の下で旅路が進められていまいた。そして、寒さが厳しい12月か1月の冬の時期で、夜中の12時か1時頃にマドゥヤ州グワリヤの近くにあるシブプリというところに到着しました。そこで、私たちは一日中の旅の疲れもあり、次の日の準備もあったため、体を休めそこに泊まることになりました。

そして夜中の2時ごろです。シャワーを浴びて寝る準備をしていると、誰かがドアをたたく音が聞こえたのです。ドアを開けると、そこに、ラジマタ女史が立っていました。寒くて凍えるような冬の夜中に彼女を見て本当に驚きました。私は挨拶をして、“失礼ですが、このような時間にどうかしましたか?”と尋ねました。すると彼女は、“いいえ、ただモディさんがこの温かい牛乳を飲めばよく寝られるだろうと思いました。”と言いました。彼女自身がターメリックの入った牛乳を持ってきてくれたのです。しかし、向こう側を見ると、それは私だけに持ってきたのではないと分かったのです。彼女は、30人から40人の同僚、また運転手やほかの助手なども含め、全員のために、それも夜中の2時に温かい牛乳を運んでくれたのでした。

これは、母親のような愛情をもって接することを教えてくれた、本当に一生忘れがたい出来事でした。そのような偉大な人格を持つ人が犠牲と苦行をもってインドの土壌を培ってくれたということは本当に幸運ではないでしょうか。さあ、皆さん、それらの偉大な人々も誇りに思えるインドを築くために一緒に努力しようではありませんか。彼らの夢を私たちの動機としてがんばりましょう。

国民の皆さん、今、このコロナの時期にもう一度お願いしたいことがあります。常にマスクをつけてください。そして顔のシールドなしで外出しないで下さい。”2メートルの距離の確保“、これは、あなたとあなたの家族を守ります。これらは、コロナと闘う最小限の武器でもあります。皆さんがこれを守れば、大きな力となり市民の皆さんの命を救うことにもつながります。ワクチンが出来るまでこれを忘れてはいけません。私たちのこれまでの努力を無駄にしないようにしましょう。

皆さんとご家族のご健康をお祈りします。 ありがとうございました。

ナマスカール